あるじゃーのん日和

発達障害のこと書こうとおもってたんだけど、なんだか迷走してる

大和神社(奈良県天理市)御弓始祭、忘れられた神様

★御弓始め祭りは楽しいよ
大和神社戦艦大和と関係があるんだって。
★日本大国魂大神について妄想してみる。f:id:dearAlgernon:20160106132335j:plain
JR万葉まほろば線(旧桜井線)の長柄(ながら)駅から、歩くこと10数分、小さな森の中に大和神社はある。

春日大社とか大神神社にくらべればだいぶ小さく、明治以後に建て替えたという建物にも特筆すべきところはない。ただ参道の長さが、昔の権力を偲ばせる。

まずはお参り。
「みんなが機嫌よく暮らせますように」
それからおぜんざいをいただく。
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鎌倉装束をまとった人々がお社に入って何か儀式をしたあとで出てきて弓を射る。
最初は大きい弓で鏑矢を。
矢尻の代わりに笛みたいなものが付いていて、ヒョーンと音を立てて飛んでいく。

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鏑矢。

その後は初心者っぽいおじいちゃん(議員かなんか偉い人?)2人、中学の弓道部員、鎌倉装束の女性、鎌倉装束の男性と順に打っていく。

男の人は弓手の肩を出して射るけど、女の人は水干の紐で袖を縛って射る。
なるほど、合理的にできているんだなぁ。

神社の敷地の中に戦艦大和資料館っていうのがあった。海なし県の奈良にまさか!?
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神主の趣味?艦娘に乗っかるビジネス?
いえいえ、ちゃんと繋がりがあるんですよ。
この神社の神様は、戦艦大和の守り神でもあったのです。
お守りと一緒にかわいい戦艦大和土鈴も売ってた。

大和神社(おおやまとじんじゃ)の創建は崇神(すいじん)天皇12年ということになっている。
崇神天皇自体、実在したかどうか微妙な存在で、日本書紀を信用するなら、西暦にしてなんと紀元前86年。まさに神代からの歴史を持つ神社である。

祭神は日本大国魂大神(おおやまとおおくにだまのおおかみ)。特に来歴は語られず祟神天皇の時代まで天照大御神とともに宮中で祀られていたが、疫病、反乱などに悩まされ、神威を恐れた天皇によりこの地に鎮座されたそうな。

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天照大御神と同列に祀られたほどの神が、なぜ今ほとんど知られていないのだろう?

「祟神天皇」は「タタリガミ」とも書く。神に祟られた天皇ということだろう。
彼は大物主神(=大国主神)にも祟られている。
この頃の神様はとても恐ろしかったのだ。

以下妄想。

邪馬台国や那国などの数十に分裂していたという「倭国」。都市国家が乱立してたころのギリシャみたいだったんじやないかな。

倭国を統一した(隼人、蝦夷との戦いは続いていたけど)天皇一族は自らを天照大御神の子孫と名乗った。

その頃、政治と権力の結びつきは強く、かつての諸王もそれぞれの神との繋がりを持っていた。日本大国魂大神もそんな土着の神だった。

天皇一族は侵略したこの地の権力者から、日本大国魂大神を奪ったのではないか。一方で日本大国魂信仰を弾圧し、ご神体を宮中に持ち去ることで、昔の王のカリスマ性はなくなり、天皇はより強い権力を得ることができるはずだった。

しかし宗教を奪ったことで反乱が起き、天皇自身罪悪感もあって、疫病は祟りだと思い込んだ。
天皇はかつての王達に宗教の自由と土地、人民の所有を限定的に認めた。

そう考えると、日本大国魂大神が来歴も語られないまま古事記の中で、偉大な神として取り上げられ、以後語られることがないのか説明がつく。

日本大国魂大神が日本の土着の神であるとすれば、そして天照大御神の子孫である天皇を祟る存在であるとすれば、国家神道全盛の日本が命運をかけた超弩級戦艦の守護神にするのはどうだったんだろう?

戦艦大和の沈没が祟りだとは思わないけど。

戦艦大和とともに沖縄の海に沈んた戦士たちはいま大和神社に合祀されている。

祈りと呪いはよく似てる。
祟りは信仰のもうひとつの顔だ。

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