私の中の「承認欲求」とかいうアプリがアンインストール出来ないから使い倒すことにした
ブログのアクセス数が気になって気になって、注意力散漫になってハーゲンダッツの悲劇(昨日の記事を参照)が起こったので、アクセス数は一日一回しか見ないって決めたのに、守れなかった(тωт。`)
これは一体何なのか?
根性なしとかはまぁ、自覚してるんだけど。
それはストッパーの問題であって本質はあれだ。
自己承認欲求とかいうやつ。
これってフェイスブックとかツイッター使う人だけの病じゃなかったのね!
私の中にもそんなアプリが入ってたとは!
ただでさえこの脳は容量がすくないんだ!
いらないアプリなんかレッツ断舎利!
あれっ、この「自己承認欲求」アプリ、アンインストールが選択できへんやん!
出荷時から入ってたやつか!
「食欲」「睡眠欲」「性欲」だけかと思ったけど、他にもあったの!?
「食欲」エネルギー摂取を忘れない。
「睡眠欲」体力が回復する。
「性欲」おかげで息子に会えました♡
ということは、「承認欲」も何が意味があるはず!導入ながっ!!!
…という訳で、承認欲の意味を考えてたんです。
ヒトは群れで生きる動物である。承認欲の強いオスは群れの中で高い地位に付く可能性が高い。結果多くのメスと関係を持つことが可能になり、多くの子孫を残すことができる。それが何万年も繰り返される。
人類という種からみれば承認欲の意味はそんな感じだろう。孔雀の尾羽みたいな。
もしご先祖様が、いい感じの土器を作ったとする。彼に承認欲があれば、仲間に見せたいと思うだろう。彼が作品を作ったことだけで満足したら、それは芸術ではあるかもしれないけど文化にはならない。
文化とか技術とか、文明からみた承認欲の意味はたぶんそんな感じ。発展し、増殖するために不可欠なシステム。
承認欲自体は悪くない。
でもそれは必ずしも個人を幸せにしない。
飽食の時代、食欲が人を殺すようになった。
SNSで承認欲が手軽に満たせるようになった。
承認欲が人を殺すこともあるかもしれない。
承認欲を飼い馴らすのだ!
まずは気づくこと。
「私は承認を欲してる」
そして考える。
「なぜ」承認がほしいのか?
「だれからの」承認がほしいのか?
「どのように」承認されたいのか?
「どうすれば」いいのか?
「なぜ?」
私にもできることがあるんだって自信を持ちたい
「だれからの?」
私に似てる人にも、似てない人にも読んでほしい
「どのように?」
面白いと思ってほしい。それと気が楽になったり、そういう視点もあるのかと思ってくれたら嬉しい。
「どうすれば?」
いい記事を書く
何回も確認したからってPVが増えるわけじゃない。
PVが増えても、見た人が満足してくれたとは限らない。
いい記事を書くしかない。
工夫しながらやるべきことをする。
目の前の人の言葉に耳を澄ます。
景色を見る。風や光を感じる。
食べ物を味わう。
ニュースを見る。
本を読む。
感じる。
考える。
言葉にして積みあげる。
そうすればきっと、いい記事が書けるし、人生を味わい尽くすことができる。
それでもしPVが増えなくても、自分で自分を承認してあげれるだろう。
せっかく持ってる欲求だから、私はそんなふうに使いたい。