あるじゃーのん日和

発達障害のこと書こうとおもってたんだけど、なんだか迷走してる

「自分がされて嫌なことは他人にしない」ということと正義とか芸術とかとの兼ね合いについて

「自分がされて嫌なことは他人にしてはいけません」と保育園で習った。
中学校の古文で、孔子という人が言ったことだと知った。

人を殺してはいけない。
ものを盗んではいけない。
なんで?
だって自分がされたら嫌でしょう?

すごくシンプルでわかりやすい。
そんなわかりやすい事を、忘れてしまう時がある。
それは大義名分がある時だ。
正義のためだとか、芸術のためだとか。

正義のため、芸術のため、ホニャララのため。
なんのためでも、自分がされて嫌なことを誰かにする時は、同じことを自分がされても、甘んじて受け入れる覚悟がなければいけない。

正義だとか、芸術だとか、ホニャララだとかは、免罪符ではない。自分にとってそれが、自分を傷つけてでも守りたい貫きたいものなら、他人を傷つけてでも守り貫くしかない。

でもね、おんなじことされるのは嫌なら、あなたにとって、正義だとか芸術だとか、ホニャララだとかは、その程度のものなんだから、その程度のもののために他人を傷つけるのはやめるべきだ。

道徳とか法律とかの根底にあるのはそういうことだと思う。

「されたら嫌なことが人によって違う」って問題もある。これはこれでやっかいだ。これに関しては、その場その場で話し合い、学習し、想像し、工夫し、助け合って、お互いにとってより良い方法を探し続けなければいけない。

発達障害等による認知のズレがあると、ここのハードルが上がる。だからこそ発達障害という言葉が必要なのだ。レッテルを貼っただけで思考停止しては意味がない。)

でも基本は「自分がされたら嫌なことをしない」っていうことが大前提だ。

○○のために、誰かに嫌なことをしなければいけないという状況になったときは、○○のために自分が同じことをされても受け入れられるか、シミュレーションしてみるといい。

あなたにとって〇〇はそんなに大切ですか?

自分がされても嫌じゃない方法で、〇〇を貫くことはできませんか?
火花
この記事書いたすぐあとに読んだんだけど、「人の嫌がることをしない」問題について書かれていてビックリした。正直純文学っぽくはないかな〜。だけど、読みやすいし、面白いし、いい言葉がいっぱいなのでオススメです!